聖徳院は、千歳空港から車で約15分の場所にあります。近くのウトナイ湖は国指定鳥獣保護区に指定され、ラムサール条約にも登録されている湿地であり、野鳥が大変多く飛来する北海道の豊かな自然に囲まれた自然保護区域に建立されております。
昭和54年、当時原野だったこの地ウトナイ湖畔を寺院建立の地と定めていた審定海師僧は、長年修行を重ねた故郷の京都を離れ、生涯の修行の場を北海道へと求めたのでございます。
自然保護区域であった土地の開拓申請並びに建築許可申請、宗教法人手続きなど、建立までには多くの手続きを要しました。京都から来たばかりで頼る知人も少ない中、寺院建立の思いを成就させる為に、苦難を乗り越えた開基住職のこれまでのご苦労を思いますと、このお寺の法灯の光は消してはならないものであります。
厳しい試練を一歩一歩乗り越えて前進し、冬の厳しい風雪にも耐え、何事に対しても、大自然の歓迎と受け止め、修験行者の心意気で北海道に修験道の世界の法灯を照らす思いが強かった定海師僧でした。
鍬入れの一歩を踏み入れたのは、色鮮やかな紅葉の美しい時期でありました。定海師僧自ら「麦わら帽子」とノコギリを手に雑木林の木を一本一本切り倒し、周囲の応援も得て寺院開拓の第一歩が始まりました。槌音も高らかに工事は順調に進み、同年12月に本殿の完成を見ることができました。
昭和54年12月 大晃山聖徳院 完成
開山落慶大法要
昭和55年6月20日、奈良県吉野山 金峯山修験本宗 総本山金峯山寺管長 五條順教猊下のご臨席を仰ぎ、その名も「大晃山 聖徳院」と寺号を戴き、古式豊かな中にもあくまでも厳粛にかつ盛大なる開山落慶大法要が営まれたのであります。
この深緑の聖地に本山から、そして道内外からたくさんの僧侶達の唱和する読経が流れる中に荘厳華麗な儀式と共に、幻想的な採燈大護摩供養を管長猊下が大導師となり執り行われたのでございます。
その後も定海師僧は数々の修行を重ね、当時大祭にて行われていた採燈大護摩供養の火渡式には多くの方にご参拝いただきました。
現在は、平成6年初代定海師僧御逝去の後、五條順教猊下より任命を受け審旭峰尼僧が2代目住職となっております。
緑に囲まれた当寺院に訪れる方々は心に「やすらぎ」を感じておられるようです。