
修験道を開かれたのは、役小角(役行者)であります。634年、舒明天皇の御代に、現在の御所市茅原にお生まれになりました。
幼少のころより神童と称され、渡来して間もない仏教を学ばれましたが、仏法の教えだけでは満足されず、人間の限りない欲望や諸々の煩悩を断ち切ることこそ、人間完成への最善の道であり、神仏の境地に至る道であり、さらに国家平安・万民幸福を実現する根本であると悟られました。
その思いから葛城山に登り、苦行と修練の日々に入られたのであります。
吉野山連峰の山上ヶ岳にこもられた役小角は、藤の皮を衣とし、松の葉や山草を食として、四十数年にわたり吉野山中の岩屋に住みながら荒修行を積まれました。
また、近くの葛城山・金剛山をはじめ、摂津・美濃・紀伊の熊野山など、各地の山々を開いて難行苦行を重ねられました。金峯山・山上ヶ岳にこもること三年、役行者の深い祈りに呼応して、修験道の本尊・金剛蔵王大権現様を祈り出されたのであります。
その後、役小角は平安朝に「行者」の尊称を贈られ、以来「役行者(えんのぎょうじゃ)」と呼ばれるようになりました。
さらに、1100年忌にあたる寛政11年には、光格天皇より「神変大菩薩」の尊称を賜ったのでございます。
我が国には古来より名高い高僧が多くおられますが、菩薩の尊号を賜ったのは、役行者と行基菩薩のお二人のみであります。これを見ましても、役行者がいかに偉大なお方であられたか、おわかりいただけることと思います。
幼少のころより神童と称され、渡来して間もない仏教を学ばれましたが、仏法の教えだけでは満足されず、人間の限りない欲望や諸々の煩悩を断ち切ることこそ、人間完成への最善の道であり、神仏の境地に至る道であり、さらに国家平安・万民幸福を実現する根本であると悟られました。
その思いから葛城山に登り、苦行と修練の日々に入られたのであります。
吉野山連峰の山上ヶ岳にこもられた役小角は、藤の皮を衣とし、松の葉や山草を食として、四十数年にわたり吉野山中の岩屋に住みながら荒修行を積まれました。
また、近くの葛城山・金剛山をはじめ、摂津・美濃・紀伊の熊野山など、各地の山々を開いて難行苦行を重ねられました。金峯山・山上ヶ岳にこもること三年、役行者の深い祈りに呼応して、修験道の本尊・金剛蔵王大権現様を祈り出されたのであります。
その後、役小角は平安朝に「行者」の尊称を贈られ、以来「役行者(えんのぎょうじゃ)」と呼ばれるようになりました。
さらに、1100年忌にあたる寛政11年には、光格天皇より「神変大菩薩」の尊称を賜ったのでございます。
我が国には古来より名高い高僧が多くおられますが、菩薩の尊号を賜ったのは、役行者と行基菩薩のお二人のみであります。これを見ましても、役行者がいかに偉大なお方であられたか、おわかりいただけることと思います。
