金峯山寺の歴史
聖徳院の本山は、奈良県吉野山にあります「金峯山寺」でございます。
開山されましたのは、役行者です。(七世紀頃)
吉野山から山上ヶ岳大峯山までを古来から金峯山と称しておりますが、役行者は人々を迷いや苦しみから救い悟りの世界へ導くために、一千日の苦行に入り「金剛蔵王大権現」を祈りだされました。
そのお姿を山桜の木に刻み、山上ヶ岳(現在の大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現在の金峯山寺蔵王堂)に祭祀されたのが、金峯山寺の開創とされています。
金峯山は、現在も数多くの行者が修行し礼拝している修験道の聖地でありますが、江戸時代(慶長18年)の「修験道法度」、明治元年の「神仏分離令」明治5年の「修験道廃止令」により廃仏毀釈が世に広まり、当時の山伏は帰俗するか神職になるか、又は天台宗か真言宗のどちらかに所属するよう時の政治に迫られたのです。
こうして、1200年続いた修験の総ての寺は廃寺を迫られ破壊されるなどして多くの寺が消滅しました。
その後金峯山寺は、明治19年に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年には蔵王堂(国宝)を中心に金峯山修験本宗が立宗しその総本山として現在に至っております。
蔵王堂
蔵王堂は、金峯山寺の本堂であり修験道の根本道場であります。
創建は、役行者に依ると伝えられており1300年の歴史がございます。
幾度となく落雷や戦により焼失されており、現在の建物は天正20年(1592年)豊臣秀吉によって修理を加えられたもので、高さ37m、桁行7間、張間8間の重層入母屋造り檜皮葺で36m四方の室町時代最大の建物であります。
木造では奈良の東大寺大仏殿に次ぐ我が国2番目の大きさであり、1300年の歴史を持つ修験道を象徴するように毅然としてそびえる大伽藍であります。
この建物で目を引くのは68本の大円柱で1本として同じものは無く、太いもので直径1.2m細いもので48cm、全て自然木をそのまま使っているのが特徴で、用材も杉、ヒノキ、ケヤキ、ツツジ、ナシなど多種であります。
修験道発祥の地
修験道の発祥の聖地であります吉野山は平成16年(2004年7月7日)世界遺産となりました。